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中国在住です。海外に関する情報や生活豆知識などの雑記ブログです

お茶の歴史は壮絶。歴史を知り茶をより美味しく飲もう

 

お茶の歴史

 

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私達の生活に密接しているお茶、今や生活の一部として愛されている飲料ですが、そのルーツはどのように始まったのでしょうか?

 


お茶の歴史のストーリーを知るとよりお茶に対しての愛着が湧きお茶を嗜む楽しみが増します。



ではお茶が成り立った経緯や発明した国は何処でしょうか?

 

 



お茶の歴史は中国から

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そうです。中国です。

 

古代中国が発明した四代発明は、火薬、紙、印刷、方位磁針です。

 


その他にも漢字や、歯ブラシ、紙幣、トイレットペーパー、封筒、金魚などどれも中国が発明した物です。

 

ja.wikipedia.org

その数ある発明品の中にお茶があります。

こう考えると中国って色んな発明を通して世界に貢献してくれている国なんです。

その中国で西暦前500年頃、孔子という人がいました。孔子は超有名人です。皆さんも歴史の授業で名前は聞いた事あるのではないでしょうか?

 


その孔子の詩の中で茶に言及していました。その300年後には茶税を国民に課していた皇帝が歴史に登場します。

 


なのでその頃には既に中国全土でお茶が普及していた証拠ですね。

 



お茶の起源に言及した文献は数多くありますが、どの文献も食い違うところがあります。なのでお茶が発見された本当の物語は迷宮入りとなっています。

 



一つの説では、国中を旅する際にお湯しか飲まない神農帝という人がお茶を発見したとされています。

 

ある時燃えている小枝が風に飛ばされて、沸騰していたお湯の中にポチャンと入りました。

 

神農帝はそのお湯をそのまま飲むと味も香りも良い事を発見しました。それがお茶の起源という説があります。

 



もう一つの説は、仏陀の弟子の一人が、菩提達磨という人が昼も夜も座禅に取り組み悟りを開こうとしていました。

 

ある時寝ないで座禅をしている最中にウトウトと眠ってしまいます。


そんな自分に怒りを感じた菩提達磨は2度と眠りに屈しないように、自分のまぶたを切り落としました。

 

 

それが地に落ち、驚いた事に芽を出し、翌日には緑の草木になりました。

 

その葉を口に入れたとこと味がとても美味しく、しかも活力が出てきました。それが茶の木とされている。

 


そんな伝説もあります。


どっちのストーリーもかなりぶっ飛んでいるなと思いますが、ここ中国ではそれを信じる人が多くいます。

 



お茶の歴史と日本

 

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9世紀頃、すだ袋の中にきゅうすを入れて中国の僧呂達がお茶を持ち込みました。

 


そしてそれから400年後には、茶を立ててお客にすすめるおもてなし、儀式が、国家的な習慣となりました。

 


ただ当時の中国のお茶の味は良いものではなかったそうです。

 


中国の詩人はお茶の事を、「液体になったひすいの泡」という表現をしていましが、実際には、スープに近いものだったそうです。

 



当時は緑茶の葉っぱを塩茹でして、更に生姜、シナモン、玉ねぎなどで香りと味を整え、牛乳や米を混ぜるという方法だったそうです。

 


良くこんな物当時の人飲めていましたね。

 


茶経というバイブル


お茶の作り方についての説明を最初に書いたのは中国人です。

西暦780年頃陸羽という人が茶経という本を出し、それが日本人の人達の間でバイブルとなりました。

 

ja.wikipedia.org


茶経のお陰で中国人は更にお茶の嗜み方を進歩させて、より繊細でなおかつ簡単に飲めるような方法に改良していきました。

 


当時は乾燥させた葉の上に少しの塩そ加えてお湯を注ぐというところまで改良されました。


よかったです。この茶系のお陰でだいぶシンプルになりそれが今のお茶に伝わっているわけですから感謝ですね。

 


そして陸羽はお茶の味に重要なのは香りであると気づきました。

 

 

そしてそのお茶の香りや味を決めるのはお茶の葉自体ではなく、ワインと同様、土壌や気候といった要素で大きな違いが出てくる事を発見します。

 


そして陸羽の名言ですが、「一千、いや一万」のお茶があると言いました。


その後中国人はお茶をブレンドするようになり、何種類ものお茶が世に出回りました。中国語の廈門(アモイ)のではお茶をティーと言います、それで世界にテイーという名称が行き渡り今でも活用されています。。

 



ヨーロッパとお茶の歴史

 

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ヨーロッパの人がお茶を知るようになったのは1254年〜1324年頃と言われています。

 


当時マルコポーロは中国を旅行していました。その旅行記で一度だけ茶について述べています。


それから約200年後にベネチア人、ジョバンニ、バテイスタ、ラムージオという人が初めてお茶の製法と飲み方をヨーロッパに紹介しました。


17世紀の初め中国から伝わったお茶が飛ぶように売れ、当時は金と同じ値段で売れていたそうです。

 


オランダは日本と国交をもちはじめお茶を輸入品として祖国に持ち帰りました。



 イギリスとお茶のストーリー

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オランダのアムステルダムで捕虜となっていたユダヤ人がイギリスに帰還するようにという招きがありました。その時にオランダからイギリスにお茶を持ち込んだと言われています。

 


1958年9/23 初めてイギリスの新聞に茶の広告がのりました。中国人が茶と呼び、他の人がテイーと呼ぶ飲み物がロンドンのコーヒー店で発売されているという内容の広告でした。


その3年後には、イギリスの王チャールズ2世が、お茶通のポルトガル王女キャサリンと結婚しました。

 

キャサリンは英国の官邸にティータイムを導入しました。

 

 


この導入によって貴族社会の男女が 朝から晩まで飲んでいたアルコールをしのぎ、お茶が社交の場での代表的な飲み物になっていきました。




 茶と戦争の歴史

 

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茶は歴史の流れを変えた事があります。

 

アメリカ独立戦争

 

の引き金となったのは茶でした。

 

1ポンド当たり3ペンスの茶税をイギリスがかけていました。それに怒ったボストンの人々は額は小さくても理不尽な税金に激怒しました。

 

憤慨した植民地の住民はインディアンに偽装して、港に停泊していた貿易船3隻に押し寄せ、茶箱をこじ開け海に投げ捨てました。


これがボストン茶会事件と呼ばれています。


 


アヘン戦争


中国は茶をイギリスに輸出して銀で支払いを受けていました。

 

しかしイギリスは中国に売る物がありません。

 

そこでその後悪徳会社がインド東部でケシを栽培して中国に供給しました。

 

この違法貿易が10年という長い期間行われました。

 

この現状に中国政府が乗り出し、アヘン戦争となりました。結果中国は1842年に敗北し、茶は再び英国に輸出され、中国はアヘンの輸入を強制されました。


これらの一連の流れをみると茶といえど歴史を変えるほどの巨大な需要がある事を知れますね。

 

阿片戦争 - Wikipedia



お茶と健康

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お茶は世に出た時から興奮剤としての効果があると知れていました。それはカフェインを含んでいるからですね。

 


現代では茶はビタミンB複合体を含んでいる事が知られています。カロリーは多くありません。

 


ミルク砂糖を入れなければ1杯のお茶に4カロリー程度しか含まれていません。


お茶の品質はすぐに落ちてしまいます。保存は数ヶ月程度です。

 

風味もすぐに落ちたり他に香りの影響を受けやすいので単独で保存しましょう。



最後に


私達の生活の一部として愛されている茶、色な種類がありますがそのルーツを調べると発見から現代に至るまで激動なストーリーを歩んできた事がわかります。

 


皆さんはお茶が好きですか?

 

お茶を飲む際歴史的観点を知る事ができるとより味わい深く楽しめるのではないでしょうか。